2016年3月1日火曜日

つまり今の私にとって価値があるのはでかい液晶画面

りんごと母の手料理とイギリストーストを貪り食いながら何から書こうと考えていて、時系列が前後してもいいからとにかく書き進んでいかないとダメだと悟る。
そうでもしないと、私の悪い癖「ある程度環境が整ってからじゃないと、条件がそろってからじゃないと始められなくてぐずぐずしてしまう病」ではいつまでたってもなんにもならない。


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東京の一人暮らしでは10年間テレビのない生活をしていたが、実家にはさすがにある。しかも液晶画面のでかいやつ。地デジだし。当たり前だけど。14年前に家を出たときはまだブラウン管だった。

お家賃ですけど (文春文庫)

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↑もちろんここまで旧型じゃなかったけど。


久々に日常的にテレビを見る生活をしてみて思ったんだけど、つまらないの多いね。全てとは言わないが。
番組の内容もそうなんだけど、作り方の薄っぺらさには閉口する。


たとえば報道番組。とっくにおおかた全容の判明した事件をさも深刻そうに映像で繰り返し、それを聞いたからってどうなるもんでもない“関係者”や“○○をよく知る人物”のインタビューを流し、結果的に新たな情報なんかなにひとつ盛り込まれちゃいない、だからなに? これで報道? ワイドショーと何も変わんないじゃん、というような。

たとえばバラエティ。CM前にやったナレーションと映像をほぼそのまま数分も繰り返すあのスタイル。内容が無いもんだから薄ーくのばして無理矢理あるように見せようとしなきゃもたないのだ。

そんなわけで、「日常的にテレビを見る」とは書いたものの実際能動的にテレビをつけて見ることはほとんどない。
家族と居間にいるときにテレビがついていればなんとなく見ることもあるけれど、家族が席をはずしてしばらく戻ってこなかったりするとさっさと消してしまう。10年テレビのない生活をしていた身には、あの映像と音の目まぐるしいガチャガチャが意味なく流れているのがどうも神経に障るのだ。

もはやテレビ番組に求めるものはない。が、映画好きとしては、大きくてきれいな液晶画面でDVDや深夜にやってる映画なんかを観られると思うと映像再生機としてのテレビ本体への期待というのはある。

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