2016年3月12日土曜日

日付変わっちゃったけど

5年か。

この震災を機に絆とか命の重さとかわざわざあらためて大事だと思ったみたいなのは、私は特になかった。
被災してないからだろ、身近な人を亡くしていないからだろと言われればそれまでだ。
でも私は有事のときだけ盛り上がっといて喉元過ぎれば熱さ忘れるというのが嫌いなのだ。
生とは死とは命とは幸せとは。そんなこと人として生まれたからには平時のうちから折りに触れ自分なりに思いを致しておくべきだと、普段からわりと考えて生きているというだけのことである。

それよりも、震災で浮き彫りになった普段はなんとなくごまかされていたこと――実は世の中ろくな仕事してない無責任な奴らがいかに多かったかということ、なんぼキレイゴト並べても結局この社会のシステムはいざとなったら大元を支えるために誰かが犠牲になる構造でしかないことをあらためて思い知らされたという意識はある。

悲観的すぎるかな。被害者意識強すぎかな。
しかしこういう側面をいつまでもねちねち考え続けることが私みたいな性分の人間の役割なんじゃないかと密かに思っている。

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